退屈だった夏休みは、本当に退屈だったのでしょうか
「子どもには体験をさせたい」
最近、「体験格差」という言葉をよく耳にします。
親としては、「子どもにはいろいろな経験をさせてあげたい」と思うものです。
その気持ちは、とても自然なことだと思います。
実際、私たちが子どもの頃と比べると、子どもを取り巻く環境は大きく変わりました。
暑さのために外遊びが難しい日が増え、学校のプール開放も少なくなりました。防犯の面からも、子どもだけで自由に遊ぶことは以前より難しくなっています。
「何か体験をさせてあげたい。」
そう思うのは、親が頑張りすぎているからではなく、遊べる環境が変わったことへの自然な反応なのかもしれません。
私が思い出す夏休み
それでも、自分の子ども時代を思い返すと、不思議なことに「特別な体験」はあまり思い浮かびません。
思い出すのは、
スイカの甘さ。
風鈴の音。
セミの抜け殻を服に貼り付けて遊んだこと。
朝のアニメ。
兄弟と一緒にだらだらテレビを見た時間。
飽きたら宿題をして、またぼんやり過ごしたこと。
今思えば、どれも特別な出来事ではありません。
でも、あの夏の空気ごと、今でも心に残っています。
「何をしたか」だけが体験ではない
私たちはつい、「体験」というと旅行やイベントを思い浮かべます。
もちろん、それらは子どもにとって素敵な思い出になるでしょう。
でも、心に残る体験は、それだけではないように思います。
家族と食べたスイカ。
夕方になると少しだけ涼しくなる風。
宿題を後回しにして怒られたこと。
何をするでもなく過ごした夏の午後。
そんな何気ない時間も、振り返れば確かに「子ども時代をつくった体験」でした。
忘れたくない、もう一つの豊かさ
だから私は、「子どもには体験をさせたい」という親の気持ちを、とても大切だと思っています。
その一方で、「何を体験させるか」ばかりに目が向いてしまうと、見えなくなるものもあるのではないでしょうか。
子どもにとっては、予定がぎっしり詰まった一日だけでなく、安心して退屈になれる時間もまた、大切な体験です。
豊かな子ども時代とは、予定表に書き込める出来事の多さだけでは測れないのかもしれません。
夏の空気を味わいながら、何気ない一日を過ごした記憶。
そんな時間もまた、子どもの心を静かに育てているのだと思います。



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