top of page

甘えられない人がいます

執筆者の写真: mari koga
mari koga
7月11日
読了時間: 3分

「しっかりしている人」の中にも


甘えられない人がいます。


一度も座ることなく、家事を続けるお母さん。


「お姉ちゃんだからね。」


そう言われるうちに、お母さんへ抱きつかなくなった女の子。


本当は行きたくもない釣りにも、

「うん、いいよ。」

と笑ってついていく息子。


「わかりました。」

そう答えて、自分の気持ちは胸の奥へしまう人。


どの人も、周りからは「しっかりした人」に見えるかもしれません。


でも、本当にそうなのでしょうか。



「甘えられないんです。」


そう感じている人もいます。


でも、その一方で、


甘えたいという気持ちそのものが、よくわからなくなっている人もいます。


誰かに頼ること。


助けてもらうこと。


わかってもらえることを期待すること。


そんな選択肢が、自分の中になかった。


そう振り返る人もいます。




期待するということ


赤ちゃんは、不快を感じると泣きます。


お腹がすいた。


眠たい。


痛い。


泣くことしかできない赤ちゃんは、泣くことで誰かを呼びます。


そして、抱き上げられます。


「痛かったね。」


「びっくりしたね。」


そんなふうに抱きしめられながら、自分では抱えきれない気持ちを、いったん誰かに抱えてもらいます。


そうやって少しずつ、安心を自分の中へ取り込んでいきます。




手を伸ばさなくなった心


でも、もし。


何度手を伸ばしても、その手を握ってもらえなかったとしたら。


泣いても、誰も来てくれなかったとしたら。


赤ちゃんは、「もう期待するのはやめよう」と考えるわけではありません。


ただ、少しずつ。


手を伸ばさなくなります。


期待するということが、心の中から静かに消えていくことがあります。



子どももそうです。


大人になっても、同じです。


悲しい。


苦しい。


寂しい。


そんな気持ちがあっても、


「助けて。」


とは言えない。


いや、言えないというより、


「助けてもらう」という発想そのものが浮かばない。


そんな人もいます。



心を抱っこしてもらうということ


私は、甘えるということは、


心を抱っこしてもらうこと


なのだと思っています。


それは、何でもしてもらうことではありません。


一人では抱えきれない気持ちを、


「つらかったね。」


「苦しかったね。」


と、一緒に抱えてもらうことです。


心を抱えてもらう経験を重ねることで、


人は少しずつ、


「また手を伸ばしてみようかな。」


と思えるようになるのかもしれません。



甘えられない自分を責める前に


だから、甘えられない人は、


弱い人ではありません。


むしろ、一人で抱えることを覚えてきた人です。


期待することが難しくなるほど、


期待しても届かない経験を重ねてきた人なのかもしれません。


もし、


「人に頼る」という選択肢が、自分にはなかった。


そんなふうに感じるなら、


それは、あなたの性格だからではないのかもしれません。


これまでの人生の中で、


期待しても届かなかった経験を重ね、


一人で抱えることを覚えてきた。


そんな時間があったのかもしれません。


だから、甘えられない自分を責める前に、


「どうして私は、一人で抱えるようになったのだろう。」


そんなふうに、自分の歩いてきた道を見つめてみてもいいのかもしれません。


そうすると、


甘えられない自分の見え方が、


少し変わることがあります。


「甘え」という言葉に、どこか抵抗を感じる方もいるかもしれません。


「甘えること」と「依存すること」は、同じなのでしょうか。


似ているようで、この二つは少し違います。


次回は、「甘え」と「依存」の違いについて、一緒に考えてみたいと思います。

コメント


bottom of page